イトウさん「すいか」その後の妄想

2023年のすいか新聞1月号から10月号に
連載して下さった
イトウさんの「20年後の妄想」はすいかファンにとって
すいかメンバーに再会できる貴重な文章でした🍉

すいか新聞の妄想と最新の妄想を紹介していきます。

イトウさんについて
2021年に「18年後の妄想」をファンの方から募集した際、文才ある妄想をたっぷり書いて送って下さった、知る人ぞ知る、伝説のすいかファン。すいか新聞連載のあとにも妄想を書きおろして下さいました。

「ありがとう」


パチンパチンパチン

暖かな陽のあたる縁側に新聞紙を広げて爪を切っている小川部長。
信用金庫での勤めも辞めてもう十年以上が経った。
爪が落ちた新聞紙にふと目を落とすと「区役所の金を7000万円横領」という記事に目がいく。
「7000万円か。馬場ちゃんの三億には到底及ばないな」
とボソっと呟く。
当時は部長職に着いていてそれなりの管理不行届の責任は問われたがなんとか定年まで勤め上げる事ができた。
退職後、これと言って趣味のない自分は退屈な日々を送っていた。

「あいつも小川さん退職したら一緒に沢山ゴルフ行きましょう!なんて言ってたのに一度も声かけてこないな。」

と呟き、課長の顔が浮かんだりした。
パタパタスリッパの音がして矢継ぎ早に声がした
「あなた、そんなにゆっくりしてないで。昼から真由子がはるかちゃん連れて来るんですからね」
今日は娘が久しぶりに孫を連れて実家に帰って来る。
会うたび成長している可愛い孫の顔を思い浮かべると自然に笑みが溢れる。きっとまた大きくなっているんだろう
そう言えば、馬場ちゃんと同期だった早川君が三茶で定食屋を始めたんだっけ。
「褒めてもらってもいいですか?!」
あんな事言われたのは初めてだった。ちょっと風変わりだけど教わる事も多い部下だったと改めて思う。
応接間に続く台所で右へ左へと働く妻の背中に

「あのさ、いつも、ありがとう。」

とふいに声をかけてみた。

「やだ、どうしたんですか?明日は雪でも槍でも降るのかしら?」

ふふふ、と嬉しそうに笑っている。
そうだな、まだ時間はある。かみさん連れて色んな所へ行ってみよう。
先ずは早川君の店にでも二人で行ってみようか。
そんな事を考えていたら玄関が開き
「ただいまー」
「じいじーーー」
と娘と孫の明るい声が聴こえ、パタパタと小さな足音が近づいてきた。
今日は賑やかな1日になりそうだ。

(2024.4月)

「良い肉と梅サワー」


「あ、ネギ買い忘れちゃった」
裕美子がエコバッグを覗き込んで呟いた。
「俺が買ってこようか?」
泥舟のマスターになった彼がリビングではしゃぐ男の子を背中におんぶしながら声をかけた。膝の上にはもう一人まだ小さな男の子もちょこんと座っている。
「お願いしていいかな?せっかくいいお肉なのにすき焼きにネギが無いのもね」
「ハハハッ」
目尻にシワを寄せて思わずマスターが笑った。
「何がおかしいの?」
「いや、すき焼きのお肉に触発されて自分の命を単位と天秤にかけた人がネギが無いとねって」
「酷い、若気の至り。昔の話しじゃない」
恥ずかしくなって少し早口で反論する裕美子。

「生きていたら何が起こるかなんて誰にもわからないんですよ」
と教授に言われたあの日。
彼におぶられ家に帰る時の事を思い出していた。

「足、大丈夫ですか?」
「はい、、、」
今日初めて会った見ず知らずの男の人におんぶされるなんて。そんな事すら本当に想像もしていなかった事だと裕美子は思った。
「あの、重たくないですか?」
「いえ、全然」
本心から言っている様に聞こえた。
バーテンダーは黙々と駅に向かって歩き続ける。
「虫の声」
ふとバーテンダーが呟いた
「え?」
「夜に虫の声が聞こえてくる時期になりましたね」
耳を澄ませてみると街路樹の方から虫の鳴き声が聞こえている。
「夏ももう終わっちゃうんですね、私何やってるんだろう、、、」
「夏はまた来年も再来年もやってきます。これは間違いなく、です」
「単位も落として留年も決まる。窓から飛び降りた学生なんてもう大学に居られないな」
裕美子は改めて自分のした事の重大さに胸が苦しくなった。
「大学ってそんなに大切ですか?」
穏やかな声でバーテンダーが呟いた
「え?」
「僕は高校卒業して泥舟のママと出会って数年、バーテンダーとしてまだ未熟ですが学校に行かずに学べる事の多さに驚きました」
裕美子はそんな事考えた事もなかった。
「貴方にもきっと、学べる場所があるはずです。学びたいという気持ちさえあれば」
思ってもいない彼の言葉に戸惑いながらも少しだけ救われた気がした。
間も無くして駅に着いてゆっくり背中から降りた。
「ありがとうございました。」
にこやかに「いいえ」と小さく首を横に振るバーテンダー
「あの、もし私が本当に学びたいと思う事見つけたらまた会ってもらえますか?」
裕美子はその日初めて彼の目を真っ直ぐ見て言った。バーテンダーは一瞬目を丸くしてから微笑んで裕美子に握手を求め手を差し出した。
裕美子もそれに応じて握手をした、裕美子の細い指を包み込む優しくて大きな手のひらだった。
しばらくして大学を辞め海外でボランティアをする事になるのはもう少し先の話しだ。

一方泥舟では。
基子を背負って直ぐに戻ると言っていたバーテンダーがなかなか帰ってこないのでママが首を傾げていた。
カウンターにはすっかり汗をかいた梅サワーがバーテンダーの帰りを待っていた。
「早く帰って、、、、来ないわね」

(すいか新聞2023.9月号)

「夏の日の線香花火」 


「ありがとうございました」
濃紺の生地に「ハピネス三茶カフェ」と白く抜いてある暖簾を外す。
今日の営業も無事に終わらせた。
そのまま振り向き玄関に並べていたスリッパをスリッパ立てに並べて。
「うし、じゃあ準備せねば」
パタパタと台所へ戻るゆか。
今日はみんなを集めて中庭で「夕涼み花火大会」をする予定だ。
まだ日差しの強い夕方前、簡単に食べられる食事と飲み物の支度をする。
「はい、はーいお邪魔しますよ」
と言いながら、ゆかが返事をする前に間々田が両手に沢山荷物を持って現れた。
「手伝いに来ましたよ。こういう時こそ人手必要でしょ?」
ニコニコしながら台所のテーブルにドカっと何かを置いた。
「間々田さーん、今日に限っては助かります」
「今日に限ってってー。これ、みんなでスイカ割りしようと思って。こっちは響一くんから送ってもらったと、う、き、び、北海道ではとうもろこしの事と、う、き、び、って言うんだよ。知ってた?やっぱり知らなかった?」
大きな丸々としたスイカと黄色くて実がはち切れそうなとうもろこしが並んだ。
「良いっすね、スイカは表の川で冷やして、トウモロコシはタレを塗って焼いて、焼きとうもろこしにしましょう」
「うわぁ。夏って感じ!俺そういうのを待っていたのよ」
すいかを包んでいた風呂敷を頬被りしながらはしゃぐ間々田。
「また教授に「年甲斐もなくはしゃぐんじゃありませんよ、伝ちゃん」って怒られますよ」ゆかにピシャリと言われる。
「うわぁ、怖い怖い〜。じゃ、今のうちにスイカを表の川で冷やして来るね」
と言いながら嬉しそうにスイカを両手で抱えて間々田が台所を出る。
しばらくしてまたパタパタとスリッパの音が響いてきた。
「ゆかちゃーん。花火買ってきたー」
「スイカを抱えた間々田さんに外ですれ違いましたよ」
ゆかと基子が花火の入ったビニール袋を下げてやって来た。
「待ってましたよ。お?絆さん双子ちゃん二人は?」
「アシスタントの子に預けて来た!今日はね、私が目一杯楽しませてもらうんだから」
「良いですね!童心に帰るっていうのも」
基子が流しで手を洗いながら言った。
「間々田さんはずっと童心になっちゃってる気がしますけどね」
ちょっと呆れたように絆が言う。
「教授もああ見えてたまに乙女に戻る時とかあるもんね〜」
と絆がふふふと笑いながら言うと。
「誰がどう見えるですって」
いつの間にか三人の背後に立っていた教授が声をかけた。
思わず後退りする三人。
「教授ー。いつの間に来てたんですかー!」
「足音何も聞こえなかった、まるでくのいちですね」 
絆はちょっとおどけて肩をすくめている。
「ゆかさん私のとっておき、送っておいたけど届いてる?」
「はい!あります!」
「やっぱり夏にはちゃんと夏らしい事をして季節を全力で楽しまなきゃね」
力強く嬉しそうに言う教授の姿に三人とも嬉しくなった。
「ねえ、みんなが集まる前にちょっとだけ線香花火しない?」
絆が提案した。
外も随分と西陽が傾いて来た。
「いいですね、私小学生の時に線香花火長く持たせる大会で準優勝した事があるんですよ」
基子の意外な過去が飛び出した。
「いいわね、私も負けないわ。キャリアが違いますからね。そういえば今日は他に誰がいらっしゃるの?」
「あとは泥舟の人達と、リーダーが基子さんのお母さんを連れて来てくれます」
「え?八木田くん?うわぁ、また会えるのね嬉しい」
八木田は最近色んなセミナーを通して話題になりテレビにも出るような今や時の人になっていた。
「ゆかちゃーん!!マッチとろうそくってあるよねーー」
縁側に座ってすっかり線香花火の準備ができている絆が声をかける。
女四人で線香花火長持ち大会、少し早めに開催。
少し風が吹いてきて風鈴の音がチリンチリンと縁側に響いている。

(すいか新聞 2023.8月号)

「再会の雨宿り」


先週遂に梅雨入りした。
今日は梅雨の中休みと聞いて油断して傘も持たずに買い出しに来た基子は、急に降り出した雨に思わず道端の酒屋の軒下で雨宿りをしていた。
「あぁ。梅雨の中休みって完全に油断してた。通り雨だと良いけど、、、。」
ちょっと憎々しく雨模様の空を眺めていたら、グレーのスーツ姿の中肉中背中年男性が軒下に駆け込んできた。
「わぁ。やんなっちゃうよ〜今日は降らないって言ってたのに」
ポケットからハンカチを出してスーツの雨を払うように拭くその人をチラリと見てみると。
「わっ。課長?!」
信用金庫の時に上司だったメガネの課長だった。
課長はしばらく訝しげに基子の顔をジッと見た後に
「、、、、早川君?」
と驚いた顔で言った。
「どうも、ご無沙汰してますー。」
意外な場所で意外な人に会って驚きながら挨拶をした。
「うわ。懐かしいなぁ!!早川君!元気?!今何してんの?!結婚してんの?!」
課長は相変わらずな口調で矢継ぎ早に聞いてくる。
「えぇ、元気です。結婚はまぁ一度はしました。課長は?お変わりないですか?」
そう返すと急にしょんぼりした顔になった。
「もうね、課長じゃないんだけどね。部長になったよ」
「わあ、おめでとうございます。」
「そんなにめでたくも無いんだよ、今はさホント職場でもなんか居場所が無いって言うかね。昔はさ、早川君とも仕事終わりに飲みに行ったりカラオケ行ったり、あぁ、馬場ちゃんもいたなぁ。あの頃が正直言って懐かしいよ。」
「そうなんですね、、、。」
「時代が変わったんだろうね、オレみたいな古いオッサンは立場無いよ」
「そんな事ないですよ」
話している内に降っていた雨が少し小降りになって薄日が刺してきた。
「そう言えば、昔早川君が陶器の人形割ったじゃん。あのお婆さん、随分前に一度窓口に口座の手続きに来てね。早川君に一眼会いたかったって言ってたよ。いい仕事したんだな、君は。」
雨が上がりそうな空を見上げながら元課長が言った。
驚いてる顔をしている基子に
「じゃ!!そろそろ行くわ、本当に懐かしくて嬉しかったよ。早川君、元気で」
うっすら片方の口角を上げて小走りで駅の方へ走って行った。
基子はしばらくその場で立っていた。
頭の中に一気に当時の信用金庫の思い出がよぎっていく。
ふと空を見上げるとすっかり雨は止んで雲の隙間からキラキラと陽が刺してきた。
何だかちょっとくすぐったい気持ちになりながら思い出した。
「豚肉、卵、ごぼうに玉ねぎ。」
頼まれた買い出しの材料を思い出し短い雨宿りを終えて軒下を出た。
「今日の晩御飯は何なんだろうなー」
スーパーへ向かう基子の足取りは何だか少し軽やかになっていた。


(すいか新聞 2023年7月号)

「寿司と焼肉とコーヒー牛乳」


ケロリンの桶がずらっと並ぶ銭湯の女湯。
大きなお風呂で絆とその横に絆によく似た双子の女の子が少し赤い顔をして並んで肩まで浸かっている。
一人の子が言う「お母さんもう出てもいい??」
「もう少し我慢しなさい、熱い!身体が全身暖まったぞ!からのコーヒー牛乳が一番美味しいんだから!」
頬を赤めながら嬉しそうに絆が言う。
もう一人の子が言う「お母さんこの腕の傷ってなんだっけ」
絆が高校生のナイフを止めた時にできた腕に残る傷跡を見ていった。
「あ、これ?そうそう、昔こさえた傷だよ〜言うならば「愛の傷」かな」
女の子二人が首を傾げて顔を見合わせた
「あんた達もさ、その内分かる時がくるから」
と言いながら、両脇の愛しい我が子をぎゅーっと抱き寄せた。

着替え終わり、3人並んで腰に手を当てて瓶のコーヒー牛乳を飲む。
「「「ぷはーーーー」」」
「よし、二人とも何が食べたい?お母ちゃん今日は給料日だったから好きな物をたらふく食べさせてやる!」
「お寿司!」
「焼肉!」
間髪入れず嬉しそうに答える双子。
「ははは!よし、どっちも食べちゃおう。新連載も順調でお母ちゃんの身体も懐も熱々だわ!」
と飲み干した瓶を片手にニカっと笑う絆。

銭湯の暖簾をくぐり出て、スマホ片手に電話をかける。
「あ、基子さん??お寿司、食べに行かない?ついでに焼肉も一緒に食べられるところ探してるの。うん、うん、え?ママ来てるの?久々じゃーん、じゃぁ私も娘達連れて泥舟で集合だね。」
もうすぐ梅雨入りの空は少し薄曇りだが、ご馳走の事を考えている絆と娘達はワクワクしながら泥舟に向かった。

(すいか新聞2023.6月号)

「新緑の並木道とすき焼き」


カッ コツ コツ 
カッ コツ コツ

目に眩しい緑が煌めく並木道をアフリカで手に入れた艶やかな杖をつきながら教授が歩いている。
久々に教え子であり元助手であったスミちゃんにお願いされて大学にてスピーチする事になった教授。
「崎谷教授!今日はありがとうございます」
「いいのよ、私も久々に学生に触れ合えるのを楽しみにしてましたから」

教室の扉を開けると学生達が後ろ寄りの席に固まって座っている。スマホを触っている者もいた。自分が教壇に立っていた頃とはまた違う今の時代の若者達か。
スクリーンに教授が旅をしてきたいろんな国の写真を何枚も映し出しながら民俗学について語る。
少しずつ顔を上げる者が増えてくる。
「色んな所へ行きなさい、色んな人に会って、色んな話しをしなさい。全てが貴方を作る糧になります。『少年よ大志を抱け』とは言いますが少年だけじゃなくて良いんです。少年も少女も男も女もじじいもばばあも大志を抱いて良いんです。生きていたら何が起こるか分からない、これは絶対に。です!」
最後にはスマホを触っている学生は居なくなっていた。
全員の目が教授を見ていた。
鳴り止まない拍手の中教室を出る。
「教授〜流石です。今日はありがとうございました!」
「良いのよ〜。可愛いスミちゃんのお願いですものね。いつでも声かけておくんなまし」
ちょっとおどけて答える教授。
「この後お食事でもどうですか?」
「ごめん!スミちゃん。今日は先約あり。みんなで、すき焼き食べる約束してるの」

ハピネス三茶ではゆかちゃんが大きな椎茸や焼き豆腐、春菊などをカットして竹ザルに綺麗に並べている。
「ふんふふ〜ん」と鼻歌を歌いながら人参を花の形に型抜きしていた。ダイニングテーブルの真ん中には立派な箱に入った綺麗な桃色の霜降り肉が置いてある。
シュタッと黒いブチの猫がテーブルに上がる。
「あ、ダメよ吉宗!今日は久々にみんな集まってすき焼きなんだから」
綱吉に似たその猫がわかったよとでも言うように、ニャーーと鳴いた。

(すいか新聞 2023.5月号)

「そら豆のポタージュ」


「今日のメニューは そら豆ポタージュ 菜の花のパスタ 八朔ゼリー」
小さな黒板にそう描くとハルマゲドン石像の横に立てかけて背伸び。今日も小春日和いい天気。
今日は週に三日のハピネスカフェの営業日。
「うっし!」拳に気合を入れてハピネスに小走りで戻るゆかちゃん。

「ゆかさーん、そら豆のから全部剥けました」キッチンから基子の声がする。
「あ、じゃあ次は蓮根と南瓜の素揚げお願いしまーす!!」ゆかちゃん。
「はーい。」基子。
基子も随分と料理が上手くなった。
びっくり水を知らず驚かれていたのが遠い昔だ。
11時の開店に向けて一番忙しい10時前後。
「ゆかちゃぁん?!頼まれた物買ってきましたよー!!」嬉しそうな顔で買い物袋を手に間々田さんがいそいそと入ってくる。
「ほら、やっぱり男手って必要な時あるじゃない?相変わらずこの家男の匂い一つしないから」
その脇からサッと基子が揚げ物をテーブルに置く。
「ゆかさん、素揚げしたやつ。ここに置いておきますね。」
間々田は相変わらず話を聞いてもらえない。

開店の時間だ。エプロンで手を拭きながら基子がいそいそと玄関に向かう。
「そろそろ暖簾出してきますね」
濃紺の暖簾に白く抜いた「ハピネス三茶カフェ」の文字がはためく。
「ゆかちゃん、菜の花茹で上がりました」
大きな竹ザルに茹でた菜の花を上げながら声をかける。
「あ!待って!足!間々田さんまだペディキュア塗られてる!」
「あ、これ??かみさん未だに塗るのよー。儀式ってやつ?まぁ、夫婦仲はいいって事で」
裸足の足を重ねてクネクネしながら何故か嬉しそうな間々田さん。
「その足で配膳とかしないで下さいよ!く、つ、し、た!ちゃんと履いてください!」

「「いらっしゃいませ」」

今日一番のお客様がやってきた。
いつの日か基子が買ったエアコンがまだ現役で稼働する「ハピネス三茶カフェ」
今日もそろそろ賑やかにオープンします。

(すいか新聞 2023年4月号)

「おDAYのおサービス」


基子の母梅子も夫に先立たれ自分も小なり大なり病気も体験してそれなりに年老いた。
足腰も少し弱くなり一人では広すぎるくらいの家でのんびりと暮らしながら週に3日。月、水、木、は近くのデイサービスに通っている。

初めは「いやだわぁ。ああ言う所ってもう耄碌したような年寄りの掃き溜めなんでしょ??あたしは、ま、だ、そんなに老いてませんから!」と拒否していたのだが、基子が付き添い一度体験入所をしてみると、すっかりそこのメンバーやケアラーさんに打ち解けて今はまるでデイサービスメンバーの中心的人物になっている。 

デイサービスの日の朝は基子が準備に来て送迎バスに乗るまで手伝いに来てくれる。「忘れ物ない?タオル!持った?!カバンに入れてる?新しいタオル持っていく時はちゃんと名前書いておいて下さいって!この前職員の木下さんに言われたんでしょ?!」
基子が玄関でテキパキと手荷物を梅子お手製の派手なハワイアンキルトのトートバッグにまとめている。
「木下さんね〜、あの子母子家庭で育って今はお給料の半分をお母様に仕送りしてるんですって!若い男の子なのにしっっかりしてるでしょ?」とまるで自分の身内の事のように嬉しそうに話す。
「はいはい。もうお迎えのバス来たよ!腕に掴まって、ゆっくりね、ゆっくり立ち上がんなさいよ!」
「あんたはね、なんだか落ち着きないのよ〜こう、、、チャカチャカして。いい歳なのに」

デイサービスに到着すると仲の良いメンバーが「早川さんここ!ここ!」と日当たりの良い窓際の椅子に招いてくれる。
窓際のテーブルの上に飴色の紅茶とカラフルなロシアンクッキーがレースの紙の上に綺麗に並べてあった。
「早川さん!先週ご披露なさったフラダンス、素敵だったわ〜お衣装も手作りなんですって?多才だわ〜」
新年の特技披露という名目のイベントで梅子はここ何年か習っているご自慢のフラダンスを披露した。
「あら、大した事ないのよ?楽しみたいのよまだまだ私も!夫に先立たれて娘はほら、お友達とキャッフェの経営に夢中で。今流行りのお一人様?って言うのかしら?でもね、イキイキしてんのよ、それを見るとね、まぁ。良いかしらこれでって思っちゃうのよねぇ」

「早川さーん!先週のお写真できましたよー!」
スタッフが持ってきた写真には首に花飾りをかけて艶やかな赤いムームーを身にまといフラダンスを踊るどこか誇らしげな顔の梅子が写っていた。

(すいか新聞 2023.3月号)

「馬場バレンタイン」


「外は静かな白い世界だ」
窓の外を見ながら馬場ちゃんが呟く。
半纏を着て両掌を擦りながら指先に息を吹きかける程この地域の冬は寒い。
米農家の嫁になって数年、2月は農閑期で割と日々ゆったりと過ごせている。
こたつに戻ってミカンでも食べようかとした時。
「母さん!ヤバイ!ヤバイんだけど!」
とドタドタと足音をたてながら学ランを着た息子が帰宅して来た。
「なに??なんなの?騒がしいなぁ」
「もらっちゃった!」
「え?何を?」
「チョコレート!」
たった今、今日がバレンタインだと言う事に気が付いた。
「すごいじゃーん!え?誰から?ゆうこちゃん?」
「違う!隣のクラスの子!」
いつも一緒に遊んでいた幼馴染のゆうこちゃんじゃないのか。
「ありがたくいただきなさいな。ホワイトデーは倍返しだ!!」
座敷に戻りよっこいしょっと座り、ほれほれと息子もコタツに座らせる。
「母さんの若い頃のバレンタインってどんな感じだったの?」
「あぁ。バレンタインかー。そうだね、働いている時に女子みんなでお金出して上司に「いつもありがとうございまーす」って言いながら当日に愛想笑いでチョコ配るイベント?」
久々に信用金庫勤めの事を思い出して何とも言えない気持ちになる。
「まぁまぁ、母さんミカンでも食べて」
こたつの上を見たら皮を剥いた二つのミカンが並んでいた。
「ホワイトデーの倍返し、何がいいか一緒に考えてよ!」
半分に割ったミカンを口に放り込んで息子が頬を膨らませながら楽しそうに言う。
「そうだなーー。お返しはおのけ豆!!だな!」
「え?なにそれ、おのろけ??豆?」
母譲りの大きな目をクリッとさせて驚く息子を見て思わず笑ってしまった。
静かな白い世界の中、馬場ちゃんとその息子が居るこの部屋は賑やかな笑い声に包まれた。

(すいか新聞 2023年2月号)

「2023年ハピネス三茶のお正月」


 各部屋に飾られた鏡餅、水回りに丸じめ。玄関には、みかんの付いたしめ縄。
キッチンでは朝早くからゆかちゃんがお雑煮を作っている。
パタパタと足音を響かせながら基子が降りてきた。
「ゆかさん、おはようございます、、あ!明けまして」
「「おめでとうございます」」
と二人で深々と挨拶を交わす。
「お雑煮ですか、美味しそう」
鍋を覗き込みながら基子が言うと。
「基子さんお餅一個?二個ですか?」
「一個でお願いします。昼から母の所へ行くので」
「きっとお母さんご馳走いっぱい準備して待ってますね!」
「未だにもずく酢をずらっと並べるんですよ」
「それが母の愛ですよ、基子さん」
パタパタとまた足音が近付いてきた。
「おはよー!寒いっ!いい匂いしてるー」
徹夜明けのボサボサヘア半纏を着た絆がゆっくり降りてきた。
絆曰く年末年始はちゃんと里帰りするもんだと言う。
実家ではなくハピネス三茶に。
「わお、今年もお節しっかり作ってある〜」
重箱を開けて絆が感嘆の声を上げる。
「北海道の響一さんから昆布や鮭やイクラを送ってもらったんで詰めてみました」
重箱に色とりどりに詰められたおせち料理がキラキラしている。
「みなさんお元気ですか?ラスベガスより愛を込めて」
テーブルに何枚かもう届いた年賀状が置いてある。
「刑事さん相変わらずすごいっすね、お元気そうですね」
ラスベガスの夜景、ダンディなタキシードの男性の横で真っ赤なイブニングドレスの満面の笑みで写る元刑事さんのフォトカードが届いている。
「ゆかさん、お餅!膨らんできましたよ」
「はい!じゃあお出汁に入れましょう!」
絆がテーブルに箸を並べていると玄関から
「ごめんください」
教授の声がした。
「おかえりなさーーーい」
三人で顔を見合わせていそいそと出迎えに向かった。
今年のお正月もハピネス三茶は笑い声が絶えなさそうだ。

(すいか新聞 2023.1月号)

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